アラ還主婦の考える理想の老後とは?
こんにちは。
いつもお立ち寄りくださりありがとうございます。
週末は老親の支援等で忙しく、記事の投稿間隔が空いてしまいました。
まだまだ手探り状態でブログに挑んでおります。
今日は、理想の老後とは?ということを自分なりに述べてみたいと思います。
老人についてのイメージ
次の文の空欄に当てはまる適切な言葉を、選択肢1から3から一つ選べ。
老人が〇〇〇〇歩いていた。
- とぼとぼ
- よろよろ
- てくてく
これは私が勝手に作った問題です。
ですから正解はありません。
個々人どれを選んでも自由ですし、「のろのろ」とか「そろそろ」「すりすり」「よたよた」等々思い浮かべても全くかまいません。
どのような形容詞を使うかで、その人が「老人一般」に持っているイメージがどのようなものが垣間見えるような気がするのです。
私の場合、まず1の「とぼとぼ」を思い浮かべます。
2の「よろよろ」では、歩くには心配すぎますし、道を歩いている限りでは、そこまで歩行が危なっかしいご老人にはほとんどお目にかからないような気がします。
3の「てくてく」は「老人」とは不釣り合いの言葉に感じて、まず選びません。
結局私は、外を歩いているご老人を目にするとどの方も「とぼとぼ」歩いているように見えてしまうのです。
子供や若い人が一人で歩いていても、決して「とぼとぼ」というふうには見えないのに。
「とぼとぼ」とは、元気なく力無くおぼつかなく歩く様子で、孤独感が漂ってくる言葉だと思います。
どのご老人も失礼ながら、私からすると孤独に見えてしまう。
おそらく私には、以下のような刷り込みがあるのでしょう。
老人=とぼとぼ歩く人=孤独な人
老いるということ=孤独
ですから、老親と会った後は、まずまず元気でいてくれていることに感謝しつつも、ドッと疲れてしまいます。
二十数年後は自分もあのように歳を取るのだと。
老いることは「人生が孤独化していくこと」とマイナスにとらえているため、やがて老いゆく自分の将来も悲観的にしか思えなくなってしまうのです。
『螺鈿迷宮』の中の三婆
どうしたら老後に対する暗いイメージを変えることができるのか…。
明るい老後ってないものなのか、そう考えていたところ突然、ある本を思い出しました。
「チーム・バチスタ」シリーズで有名な海堂尊さんの著書『螺鈿迷宮』(らでんめいきゅう)(角川書店 発行)です。
『螺鈿迷宮』は2006年に角川書店より刊行されたミステリー小説で、2014年にはテレビドラマ化されました。
ただし、原作とドラマは全く別物と言ってよいというくらい違います。
ドラマでは、伊藤淳史さんと仲村トオルさんの田口・白鳥コンビと柳葉敏郎さん演じる碧翠院院長桜宮巌雄の緊迫した関係が見ものだった記憶があります。
私が思い出したのは、原作には出て来たけれども、ドラマでは三人のうち一人しか登場しなかった「三婆トリオ」でした。
舞台は、実質、末期患者専門のホスピス施設と言える桜宮病院。
主人公天馬大吉がスパイとしてそこでボランティアを始めるところから物語は展開していくのですが、天馬に何でもかんでも口を出してくる滅茶苦茶元気でおせっかいなお婆さん三人組が「みっちゃん、加代ちゃん、トクさん」でした。
ここで驚くのが、その「三婆トリオ」が終末期の入院患者でありながら院内の業務を分担されていること。
食事の支度、洗濯、清掃等を体調に合わせて行って、対価は院内の経費と相殺するという仕組みです。
そこでは、
病人といっても病人扱いしてベッドに縛り付けると病気は悪化する
↓
だから、仕事をしてもらう
↓
「他人の役に立ちたい」という気持ちを満たしてあげる
↓
命を延ばす
という方針が貫かれていたのです。
実際に終末期の患者がそこまで小説のように活躍できるのかどうかは大いに疑問ですが。
安楽死問題がテーマになっているこの小説の中で「三婆トリオ」の登場する場面は底抜けに明るく、強い印象が残っています。
今求められるユーモアと遊び
「三婆トリオ」の場面から思うことは、明るい老後のためには、ユーモアと遊びが必須では?ということです。
辛く苦しい状況があってもそれを笑いに変えられるのは、人間の真の強さだと思うからです。
そして遊びは人としての余裕の幅を広げてくれると感じます。
ここで「ユーモアを獲得しなければならない」「遊びを楽しまなくてはならない」と難しく考えるのはNGでしょう。
そういえば、最近は自己啓発本ばかりつまみ読みするだけで、小説を読んでいないことに気づきました。
読んだらきっと、たくさんの人生に触れ、思いもしない気づきが得られることでしょう。
ユーモアと遊び、毎日の暮らしの中にちょっとずつ変化を加えていくことから始めましょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。